飽食

通学途中に空から鳥のフンが降ってきました。

いきなり腕に雪の塊が降ってきたのかと思ったんですが、

落ち着いて状況把握してみたらフンだと分かりました。

新学期早々ついてない。



酉年の始めに鳥のフンに当たるなんて

運が付いてくるんじゃないか。

なんて暢気なこと言ってる場合じゃありません。





さてさて、お題にそったテキスト第二弾。

今回はk様からのリクエストです。



-飽食について-


自慢じゃないですが、

小学校6年間で、給食を残した事は2回しかありません。

1回も残した事のない人に言わせれば、

2回も残したのか、って言われるかもですが、

クラス全員の残した回数に比べれば少ないほうだと思います。



別に、

世界中には今日食べる物が有るかの生活で

きれいな水を飲める事なんてありえない---

こんな生活をしている人が何千百万人も居るんだ。

こうして1日3食食べられることは有難いことなんだ。

なんて思考は全然ありませんでした。



ただ単に、

せっかく一生懸命作ってくれた食事を

ちょっとしか食べずに、またおかずの容器に戻す

という動作をするのがとてもためらわれたからです。



給食を2回残した事がある、と先に言いましたが、

その2回は体調が優れずにこれ以上食べたらヤバイ・・・。

って時でした。

小おかず(懐かしいね)をどうしても食べきれず

やむを得ずにおかずを小おかずの容器に戻しました。

戻すときはかなり罪悪感を覚えました。

せっかく作ってもらったのにもったいないなぁ・・・。


俺はこんな考えが頭の隅にあった小学生だったんです。

だから、

平気で残して容器に戻してる友達が信じられませんでした。

繰り返しますが、

世界中には食事も取れない人が居るのに

せっかく与えられた食事を残すなんて無礼千万!

って思ってたんじゃなくて、

一生懸命作ってもらったのに勿体無いなぁ・・・

って考えが強かったんです。

要は俺は貧乏性なんですね。



物を平気で捨てるこの時代、

こういう時こそ世界の食事事情を見つめなおすべきだ。

日本だって50年前はおにぎりだって豪華な食事だったんだ。

今の若い者は幸せだ。

と抽象的で漠然な事を言われてもよく分かりません。



でも、

食べ物を残すことにもったいないって感情を持って

やむを得ずに残してしまったときに罪悪感を感じれる、

といった小さな事から飽食について考えれば良いと思います。



今ではユニセフ募金で貧しい子供たちに物資を送ってます。

って言えれば良いんですが、

俺はそんな大きな人じゃないです。

だから飽食について云々言う資格は無かったかもですね。

偉そうに何を書いてるんだ、

って思った人はごめんなさい。



でも、

もったいないって感情は大切だと思うよ。

その対象が物にしろ食事にしろ時間にしろ。

万物は普遍じゃないですからね。

いつどこでその物が無くなるか分からないしね。

今在る時・事を大事にしたいです。